いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

余り者

いじめられっ子の運命として、余り者になることも常であると思う。


クラスのグループワークやレクリエーション、体育の授業でのチーム決め。

社会科見学やキャンプ、修学旅行の班分け。

「好きな人と組んで」という言葉は地獄の合言葉みたいだった。


余り者になったときの寂しさや、みじめさは当然ながら、余った際の周りの視線もとても居心地が悪かった。


彼らの目が訴えることが、はやくどこかの班に入れよと迷惑がっているのか、また余ってると笑っているのか、余り者が自分の班に入ってきませんようにと思っているのか、私には今でも分からない。

しかし、私のことを気持ち悪がって誰にも「一緒に組もう」と言えない環境を作っている張本人たちが、私が余ることで滞る授業やレクリエーションや、停滞する空気を疎んでさらに私を目の敵にする悪循環は、とても理不尽なように思えた。


きもいのとバイ菌扱いはデフォルト

いじめにおいて

「きもい」と言われたり、バイ菌扱いをされるのは定番の行為だと思う。


私も、いじめにあっていた頃はそれが日常的だった。


小学生の頃は、今ほど「きもい」という言葉が常套句としてなかったと思うので、小学生の頃はバイ菌扱いが主だった気がする。


私にふれるだけでなく、私が持っているものや、使っている机や椅子に触れるだけでも、気持ち悪そうな反応をされ、触った人を鬼として鬼ごっこがはじまったり、触った人に「やっちゃったなー」などからかいの言葉を混ぜながら仲間内で笑いあっていた。


席替えで私の隣りの席になった人は「かわいそう」と言われ、

グループワークで机を合わせる時も机は1人だけ少し間隔が開けられていたし、

クラスのレクリエーションでドロケイや鬼ごっこなんかをする時も、鬼に触られることはないので、逃げる必要はなかった。


一番最初

一番最初に、いじめという行為の代表的な悪口だとか

嫌がらせを受けた時は、私自身「自分がいじめられている」とは思っていなかったと思う


ただ、小学校の中学年の頃からだったか、座っている時の所作や、手が口に触れた時の仕草を笑われたり、なにか失敗をした時の「ばーか」という言葉だったり、国語の授業で褒められた自分の作文を休み時間中に読み上げられてからかわれたり

そういう、たまにある一つ一つの小さな出来事が、今思えば最初だったのではないかと思う


低学年の時から、帰り支度のスピードをまわりに合わせられず置いていかれたり、どんくさいところが多々あったそうなので、そういう所が嫌がられたのか、どんくさいからこそからかい易かったのか、からかいがいがあったのかもしれない。



小さな嫌がらせを受けた時は、もちろん嫌な思いだったが、それ以上に怖いという思いもあったと思う


自分を攻撃してくる強い性格の人物達にはもちろん、その人たちがしてくるからかいや、悪口や、

自分の些細な一挙手一投足もからかいの対象になると思うと、なにをするにもとても緊張していたように覚えている



そんな私を怖い思いにさせる小さな出来事は、そのうち、気持ち悪がられ、バイ菌扱いをされ、仲間はずれにされる行為に発展し、気づけば日常の出来事になっていた


はじめに

はじめに


いじめってきっとなくならないものだ

そのなくならないものってのは

世の中からなくならないだろうっていうのもそうだし

いじめられた経験を受けた私の中からもなくならないってことだ


いじめられる環境から抜け出してもうすぐ10年ほどになると思うけど

ふと嫌な記憶を思い出して眠れないのだ

私は間違っていたのだろうか

どこがだめだったんだろうかと思う度に

眠気が一つ一つ消えていって眠れないのだ

昔の事なのに涙がぽろぽろとこぼれるのだ


私が受けたいじめってのははじめから数えると今から10年以上も前の事で

昨今あると聞くネットいじめとか、現代のいじめとか、他の人が受けたいじめとかに比べたらなんとも無いことなのかもしれない


だけども、それでも、思い出して辛くて不安で泣くくらいなら、

いっそ表に出して、いまさら身近な人に話せない分

不特定多数の方々に聞いてもらって

すっきりしてしまえたらいいのではないかと思った


だから、本当にあったことだという証明はできないが

聞いてくれる人だけ聞いてほしい


ここでたくさんの事を吐き出させてほしい