いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

小学校の先生

いじめという嫌がらせを受けて、誰かに助けを求めたり、声をあげたりしたことがない訳ではなかった。

特に一緒に過ごすグループ内の友人も嫌がらせ等受けていたりすると、同じ仲間がいる分声をあげやすかった。


当時、私達は先生に訴えれば少しはこの問題が解決するだろうと思っていた。


結果からいうと、状況は何も変わらなかった。

先生に訴えても、私達の話に相槌はうってくれるものの、解決の為に彼がなにかをしようだとか、いじめっ子達を諭すだとかの行動は私達の目にはみられなかった。

影ながらなにかの行動をしていてくれたのか、そうでないのかはわからないままだが、

事実、嫌がらせはなくならず、いつもと変わらない嫌がらせを受ける日常が続いていた。


今の時代ほどいじめを原因に法に訴える事が主流ではなかったものの、そういった話を聞いたことがあった友人の提案も、彼は「やめなさい」という言葉で一蹴していた。

その理由が、事を大きくしてその最中や、その後の私達にかかる心労や、いじめがひどくなるという懸念を案じてなのか、

それによってふりかかる自分への責任問題や、ごちゃごちゃとした大人の都合や、増える仕事を案じてなのかは、

今でも分からない。


ただ一つ分かったのは、「先生は助けてくれない」ということだった。