きらい
クラス内で嫌厭されていていたこともあり、同学年の子とは距離があったが、他学年も多く所属している事もあり、楽器が違えば話す機会も少ないし、クラス内ほど嫌な思いはしなかった。
同学年の子達と距離があるのも、産休に入る先生へ贈る為の寄せ書きのことを知らされず後になって忘れられていたことを聞かされた時も、
クラス内で受けていた嫌がらせよりはマシだった。
ただ、この人たちのいう「みんな」に私は入っていなかったんだなという思いが今では残っている。
ただ、同学年で1人だけ、ただひたすらに、「あぁ、この人は私の事が嫌いなんだな」と思う人がいた。
その子とは同じ保育園から、小学校に上がってきたと思うのだが、それまでは会えば自然に話もしていたと思う。
クラスが離れれば疎遠になるし、機会があれば話す。そのくらいの関係だった。
クラブ活動では彼女は私と同じ小太鼓担当だった。
彼女がいつ私を嫌いになったのか、きっかけがなんだったのか、情けないことに分からない。
ただ、「みんなで頑張ろう」という意味を込めてクラブ内の全員に渡された手作りのアクセサリーかストラップか…(実際になんだったのかはわからない)を1人だけ渡されなかったり、
マーチングをやっていた時に、話を伝えられずに、一人連携がとれていない私を先生が注意するのを見て、笑っていたり、
そういうのが顕著になってきてから、
私はやっと彼女に嫌われていることに気づいた。
ただ、彼女が向けてくる「きらい」というものも、いじめよりはマシだったなと今でも思う。
嫌われているなら、あまり話さないようにしたり、関わらないようにすれば、なにもされなかった。
いじめは、どこにいても、関わらずとも、向こうからやってきた。
それはどんな「きらい」よりも、恐ろしく思えた。