いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

道徳

小学校の頃は、道徳の授業があった。

様々なテーマに対して、個人がどう思うかの意見を述べたりする内容の授業だったと思う。

家族のことから、それこそ、いじめのことについても取り上げられたことがある。


今でも覚えているのが、いじめについて、実例だったかフィクションだったかの記憶はないが、ちょっとしたドラマのような映像を授業内で見たことだ。


その映像の内容は、

まず、田舎から転校してきた女の子がクラスからの嫌がらせを受ける。

悪口を言われたり、バイ菌扱いされたりの良くある典型的ないじめだ。

ある日、掃除の時間にクラスみんなが気持ち悪がって運ばれない女の子の机を、1人の男の子が運ぶ。

そこから、次は男の子に対するからかいからの嫌がらせが始まった。

女の子は心身共に参ってしまい、円形脱毛症になり、ついにはその学校を離れ、母親と一緒に引越していった。

残るは男の子だ。女の子がいなくなった分に加えて、いじめはだんだんエスカレートし、最後は障害が残るまでの怪我を負う。

最終的にはいじめっ子達は反省し、リハビリをしながら頑張っている男の子と和解するというものだ。


この内容が私個人が今でも気持ち悪いと思うことを述べるのはさておき、

当時気味が悪かったのは、これに対するクラス内の感想だ。


「いじめはいけないことだと思いました」

「いじめられている人がいたら、助けられるような勇気を持とうと思いました」

当然、クラス内ではこのような意見が述べられる。

先生に発表しなければならないからだ。


当時私が受けていた悪口やバイ菌扱いを、いじめと判断するのはそれぞれの物差しによると思うが、

彼らは、いじめが悪いことだと言えるように、きっと悪口もいけないことだと、バイ菌扱いもいけないことだと、同じように言えただろう。


彼らが当時、私に対していう悪口や、バイ菌扱いするその態度と同じ口で、同じ体で、先生に意見を求めれたら、「それは悪いことです」と、言えただろう。


教師も、助けを求めた事があるにもかかわらず、その意見に対して、「そうですね」といえる光景は、実に気味が悪かった。


それはもしかしたら、悪口を言われているのは、バイ菌扱いをされているのは、私の勘違いで、仲間に入れてもらえないのは、グループワークの時1人だけ机が離されているのは、私が夢でも見ているからなのかもしれなかった。



この日から、普段食べ物などでもアレルギーを出さない私は、いじめに関連する映像やマンガ書籍に至るまで、それらを見ると、しばらくしてから蕁麻疹が出るようになった。

今でもこの症状があるかは確かめたくはないが、いじめ要素がある作品を避ける癖は、今でも残っている。

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