いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

チクリマン

日々の嫌がらせに耐えられずに、小学生の頃、一度だけ母親にもう学校へ行けない。つらい。と泣いたことがある。


母親はこれを真摯に受け止めてくれて、私をいじめていた中でも主だった人物の家にさっそく電話をしてくれた。

(当時はまだ卒業アルバムや連絡網のプリントに連絡先が載っていた)


彼の母親は大変申し訳なさそうに謝ってくれて、息子にもよく言って聞かせると、言ってくれた。


これで、少しは良くなるだろうと、母親も、私も、自分自身を励まし、翌日、学校へ行った。


当の彼はというと、昨日自分の家にうちから連絡があったこと、それで母親に怒られたこと、私は最低な奴だ、チクリマンだ。と周りに触れ回っていた。

周りの人間も、彼に合わせて、私は最低な奴だ、チクリマンだと一緒になって言っていた。


いじめの内容も、変わらなかった。

本当に、私は最低だっただろうか。

クラス内や学校の同年代に自分の味方がいない状況で、教師も助けてくれない中、いじめられている事を告白出来ずにいた親に、罪悪感と、それでも助けて欲しいと願って頼ることが、そんなにいけない事だっただろうか。


彼らの気持ちが今でもわからない。