いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

変わらない

部活は、親の強い勧めもあって吹奏楽部に入部した。

吹奏楽部は、マーチングの大会にも参加していて、全国出場を目指しているところだったので、とても厳しかった。

本当は、イラストや漫画を描いたりする穏やかな部活が良く、自分では一生懸命親と話したつもりだったが、親の反対を押し切るほどの力も根性も情けないことに私には無かったようだった。

吹奏楽部では、小学校と同じ打楽器パートに所属することになった。


しかし入学して、部活にも入って、話すことが出来る子が増えたのは、とても嬉しいことだった。

学校にいっても、いじめられる心配はなく、学校に来て、挨拶をしても大丈夫だと思える子が沢山いるのは、楽しかった。


しばらくして、話せる子達との間に少し距離を感じるようになった。

それはクラスのよく一緒にいるグループが違ったり、部活のパートが違うこともあったり(打楽器パートで一年は私しかいなかった)、性格が違うためだと思っていた。



ある時、もう一つの小学校出身の子が、いじめの内容ではないが、小学校の時に私の身に起こったことを、私自身に話してきた。

当時は、なぜ今その話をするのか、なぜ私に話すのか、なぜ知っているのか、わからなかった。



ある時、同じ小学校出身で、中学では同じ部活所属の子が、私もいる場で、はっきりと私の隣の席の男子に対してこういった。

「席、あの子の隣なの?かわいそうだね。



全く、自分の鈍感さや、どんくささには、ほとほと呆れるし、恥ずかしい限りだが、やっと気づいたのだ。

中学校も変わらない、と。