いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

体育祭

私自身が患ったその症状や、親や家族との関係などの経緯は、なにぶん中学生の頃からおよそ10年以上の時間が含まれているため、先に高校中退までの学生時代の話を全てしてしまってから、まとめて話したいと思う。


あれはまだ学校に通えていた頃だと思うから、一年の体育祭の時の話だと思う。


体育祭では、それぞれの学年ごと、それぞれのクラスが行う応援合戦の種目があった。

私のクラスもその応援合戦のために、日々練習を続けていた。

私も、練習に参加していた。


体育祭が近づくにつれて、クラスは盛り上がっていた。

応援合戦では、服装も自分たちで決めることができたから、私のクラスは定番の、全員学ランを着て種目行うことになった。

女子は学ランを持っていないから、当日男子から借りることになっていた。


当日はというと、もうお察しの方もいるかもしれないが、私に学ランを貸すことになっていた男子生徒からは、学ランを貸してもらうことはできなかった。

それがどういう経緯でそうなったかはあまり記憶にないのだが、ただひたすらに覚えているのは、明かりがついていない、カーテンも閉まっているために薄暗い教室の中で一人でいた間の時の事だ。


どうしよう、と思うよりは、そりゃ、私に貸すなんて気持ち悪くて嫌だよな。彼も、私に貸すことになってしまって、かわいそうだったな。

応援合戦は私が参加しなくても大丈夫だろうか、いや、風邪で体育祭を休んでしまえばどちらにしろ参加はできないのだから、一人いようがいなかろうが大丈夫だろう。

みんな私が今日いることは知ってるだろうから、あとで怒られても、仕方がないだろう。学ランがなかったとはいえ、貸したいと思われない私にも非がある。

と、挫けて涙がでそうになるのを、ぐるぐる考えることで抑えていた覚えがある。



結局は、忘れ物を取りに来た一人の男子が、着替えていない私を見て着替えないの?との問いかけに、学ランを忘れてしまったと答えた私は、彼から予備の学ランを貸してもらうことができた。

彼は明るく、優しく、おおらかで、みんなに好かれ、みんなの中に常にいる人だったから、その後、からかわれたりしていなかったかが、今も気がかりで心配な事である。