いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

自分の存在価値

小学校の頃からテストの点数が悪いわけではなかったが、中学校に入って初めてのテストで学年で3位の成績を取ることができた。


親を始め周囲の人間に褒められたことは、小学生の時からいじめられていた自分にとって、久しぶりに他人に認めてもらえた瞬間でもあったと思う。


今思い返し、よく考えれば、それがきっかけではないかとも思うのだが、

それ以降テストの度に必死に勉強をした。


ここまでなら良かったのだが、テストがある度に、

「テストでいい点数を取らなければ、自分に価値などないのだ」

「運動もできず、容姿も綺麗ではないし、人間関係が良好でもない自分にとって、勉強は唯一の取得なのだ」

「これがなくなったら、自分は本当に要らない子になってしまう」

と思うようになっていた。


だからテスト前は必死だったし、一つでもわからない問題があればとてつもない不安に襲われた。

泣きながら、時に自分に苛立ちながら、時に癇癪を起こすようにしながら勉強をしていた。


泣きながら、「これがダメだったら私にはもうなにもなくなってしまうのだ」と勉強する私に、父は何度も「そんなことはない」といいながら、私の不安を取り除くように、わからない問題を教えてくれた。


わからない部分が改善されると、安心できた。

1番になれたことはなかったが、学年の上位の成績をキープし続けられることは、「自分はまだ大丈夫だ」と思わせてくれた。


受験は失敗してしまったが、それでも偏差値の良い学校への進学は、まだ自分は価値のある人間だと思わせてくれた。



だからこそ、高校に入って、何一つ思い出せない時は、ショックなど通り越してただただ自分自身に失望した。

再び勉強しようと思っても、中学の時のように一生懸命できなかった。

不安や恐怖よりも、虚無感の方が大きかったと思う。


ここにはただでさえ自分よりも勉強が出来る子がたくさんいるのに、自分は何なんだろう、

友達が出来ても、常に不安や緊張でうまく付き合えているとは言えないのに、自分は何故彼女達と一緒にいていいのだろうか、

勉強も、分からなくなってしまった。

あれだけ一生懸命やっていたはずなのに、その一生懸命さすら取り戻せない。


ついに自分にはなにもなくなってしまったのだと、感じた。