いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

グループ内での優劣

「キモいグループ」と言われていた私とその友人達のグループ内でも、過ごしているうちに次第と人の優劣が出てきていた。


1番上は他のグループの人とも話せるような。いわばクラスでいうと中立的な人。

真ん中は、グループ内で誰とでも平等に接せる人。

下はクラスからは疎まれて、このグループ内でしか過ごせない人。


私はこの中だと下にいて、常に上の人からの見下しは凄かったが、クラスの中のいじめっ子達に受ける嫌がらせに比べたら、彼女達は仲良くしてくれたこともあり、ここがなくなれば1人になってしまうこともあり、仲良くしながら、たまに見下されての関係を続けていた。


しかし、1人仲間外れにされる時はやってきた。


初めが何だったのかは今では思い出せない。

ただ本当に、いつも通りの関係から、手提げ袋を踏まれたり、ふと自分以外のグループのメンバーが集まっていることが増えたり、からかいや悪口の頻度が増えてきたり、

そうしているうちに、1人になっていた。


当時の私は、クラスでのいじめが始まった時と同様に、なぜ自分が標的にされたのかはわからなかった。

ただ、度々述べる自分の鈍感さやどんくささのどこかで、上の人達の機嫌を損ねたか、差別心を煽ったか、他の下にいた人達のように、彼女達の味方につくのが遅かったのか、

とにかく、私はその仲間外れの標的にされ、一人ぼっちになった。



この問題については、教師が「仲直りの場」を設けてくれた。

空いていた理科室で、彼女達と、私とが話し合うというものだった。

教師はこの場にはいなかった。

内容は、彼女達が私の直すべき所をあげて、それを私が理解し、承諾すれば、また仲間に入れてあげるというものだった。

彼女達の話し合いの下、理科室の黒板いっぱいに書かれた私の直すべきところ、もとい悪口が書かれる光景は、今でも思い出すことができる。

私は、反抗する勇気も、抵抗も、する勇気や度胸を持つことができなかった。


この「仲直りの場」を経て、私達は元のグループへと戻ったのだが、悪化した関係は、そう変わらなかった気がする。


彼女達は、よほどすっきりしたことだろう。