いじめられっ子から障害者になった人生四半世紀

いじめられっ子から障害者になった人生の四半世紀分の話

自傷行為

自傷行為というと、リストカットを思い浮かべる人が多くいると思うのだが、個人的な意見としては、私もやっていた自分自身を叩いたり、噛んだり、髪を引っ張ったりする方が実際的な数としては多いのではないかと思う。なぜなら、そっちの方がわざわざハサミ…

自分の存在価値

小学校の頃からテストの点数が悪いわけではなかったが、中学校に入って初めてのテストで学年で3位の成績を取ることができた。親を始め周囲の人間に褒められたことは、小学生の時からいじめられていた自分にとって、久しぶりに他人に認めてもらえた瞬間でもあ…

主な症状

はっきりと症状が現れたのがいつだかは覚えていないのだが、覚えている限りで中学生頃から高校生、大学に入るまでのおよそ5、6年だか7年だかは少なくともこの主な症状と共に生きていた。強い恐怖感や焦り、不安感に襲われる。それらの感情が自分の中でぐるぐ…

症状と通院、家族との関係

以上が、私の小学校から高校までの生活である。ここからは中学の頃から高校中退以降、大学に入る前までの、私に現れた症状や、それに関わった人の話、通院について、家族との関係などの話を、少しずつして行こうと思う。

留年と中退。

親にはとても怒られた。どうしてまた行けないのだと。せっかく同じ中学の子がいないところへ行ったのに、なぜ行けないのだと。中学の時と同じく、引きずられるようにして学校に行くこともあった。クラスの子達は私が学校にいるのを見るととても心配そうに、…

トラウマ

今改めて思えばそれはトラウマのようなものだったのだと思うのだが、高校入学してからは、人の目がとても恐ろしかった。みんなは私をいじめたりしない。現にこうして、春を終えた今でも仲良くしてくれてるじゃないか。風邪をひいて休んでも、心配をしてくれ…

高校生活

初めはとてもどきどきしていた。それでも、周りの子に挨拶をしたり、一生懸命話に加わったり、出来るだけ暗いところのないように、明るい性格だと見てもらえるように、自分に出来ることを精一杯にやった。挨拶をしてくれる子ができた、一緒に教室を移動した…

高校入学

高校は、小学校も中学校も同じでない、つまり誰も知っている人がいないところへ進学した。勉強が足りず、公立高校には落ちてしまったが、それでも私立の進学校に入学することができた。やはりそれなりの公立高校へ進学することが、私の住んでいる地域では良…

世界で一番辛い人

学校へあまり行かなくなった頃から、これは高校までにかかってくる話でもあるのだが、「もっと辛い人はたくさんいるんだから」とよく言われた。「私の知り合いの学校の子は机の上にわざと花を置かれたりもしていたらしい。それに比べたらまだいい方だ」「世…

中学生生活

中学生の時はいじめられていたことよりも、自分の中の不安や焦りや恐怖など様々な感情がないまぜになって精神的に不安定だったことが私の中を占めすぎていたためか、もう死ねという言葉も、悪口も陰口もからかいも日常のことと慣れてしまっていたからか、あ…

中学校の先生

中学校でのいじめが始まって当初は、先生に助けてもらおうなんて期待はしていなかった。小学校の時のことがあったし、先生はみんなおなじだろうと思っていた。しかし親が学校へいじめの事を相談してからは、色々な先生がいることを知った学校にいようがいな…

恥ずかしくないんですか

前述のとおり、中学に入ってもいじめを続けていた人物のうちの1人は、同じ部活だった。彼女とはもともと仲が良かったこともなく、まぁ、小学校の時から私の悪口をいっていたし、中学もそのまま引き継いで、私のことが気持ち悪かったんだと思う。ある休日、部…

部活

吹奏楽という部活は、本当に厳しかった。平日はもちろん休日にも活動はあって休みはほとんどないし、その内容も、先輩たちのキツい言葉を浴びながら同じことを繰り返したり、練習をしたりだった。ただ一つ救いだったのは、三年の先輩たちは、練習で厳しい時…

体育祭

私自身が患ったその症状や、親や家族との関係などの経緯は、なにぶん中学生の頃からおよそ10年以上の時間が含まれているため、先に高校中退までの学生時代の話を全てしてしまってから、まとめて話したいと思う。あれはまだ学校に通えていた頃だと思うから、…

苦しさ

あまり学校にいけなくなってからは、ただひたすらに辛く、苦しかった。後にあらためて書こうと思うが、部活の先輩が、同じ部活にいるいじめの首謀者に私をいじめないようにと言ったり、学年主任が彼女を呼び出していじめないようにと言ったりしたのを聞いた…

不登校のはじまり

気づいてみればなんのことは無かった。他の子達との間に微妙に存在を感じる距離も、今では確かめようはないが、私が小学校の時いじめられていたことを知ったからだったのだと今、自分では思う。事実、彼女達は先生や、先輩の手前、私をいじめることは無く、…

変わらない

部活は、親の強い勧めもあって吹奏楽部に入部した。吹奏楽部は、マーチングの大会にも参加していて、全国出場を目指しているところだったので、とても厳しかった。本当は、イラストや漫画を描いたりする穏やかな部活が良く、自分では一生懸命親と話したつも…

中学校

私が在籍していた中学校は、二つの小学校の卒業生があがってくるところだった。私がいじめられていたことを知っている人はもう一つの小学校出身の人は知らないだろうし、私をいじめていた男女のうち男子の方は、元々やんちゃだったこともあり、もう一つの小…

小学校卒業

こうして、毎日、毎日毎日、悪口を言われ、バイ菌扱いをされ、仲間はずれにされた私の小学校生活はようやく終わりを迎えた。そんな毎日毎日あるものなのかと思う人もいるのかもしれないが、実際日によって程度の差はあるが、あるのだ。きっと彼らは毎日学校…

チクリマン

日々の嫌がらせに耐えられずに、小学生の頃、一度だけ母親にもう学校へ行けない。つらい。と泣いたことがある。母親はこれを真摯に受け止めてくれて、私をいじめていた中でも主だった人物の家にさっそく電話をしてくれた。(当時はまだ卒業アルバムや連絡網の…

道徳

小学校の頃は、道徳の授業があった。様々なテーマに対して、個人がどう思うかの意見を述べたりする内容の授業だったと思う。家族のことから、それこそ、いじめのことについても取り上げられたことがある。今でも覚えているのが、いじめについて、実例だった…

泣く子がつよい

小学校6年生の年だったと思う。今では動機を思い出すことは出来ないが、合唱コンクールのピアノに挑戦してみようと思ったことがある。ピアノは小学校に入る前から習っていたし、ピアノの先生にしばらくの間レッスンでも合唱コンクールのピアノの練習をさせて…

きらい

小学校のクラブ活動では金管バンド部に所属していた。金管バンド部で、打楽器の、小太鼓を担当していた。クラス内で嫌厭されていていたこともあり、同学年の子とは距離があったが、他学年も多く所属している事もあり、楽器が違えば話す機会も少ないし、クラ…

手紙

小学生の頃は、携帯を持っているというのは稀で、まだまだ手紙というコミュニケーションツールが主流だった。授業中や、休み時間に、小さなメモ用紙に何か書いてはそれを上手い具合に折りたたんで、渡したり、交換していた。ある休み時間の終わりがけ、自分…

グループ内での優劣

「キモいグループ」と言われていた私とその友人達のグループ内でも、過ごしているうちに次第と人の優劣が出てきていた。1番上は他のグループの人とも話せるような。いわばクラスでいうと中立的な人。真ん中は、グループ内で誰とでも平等に接せる人。下はクラ…

小学校の先生

いじめという嫌がらせを受けて、誰かに助けを求めたり、声をあげたりしたことがない訳ではなかった。特に一緒に過ごすグループ内の友人も嫌がらせ等受けていたりすると、同じ仲間がいる分声をあげやすかった。当時、私達は先生に訴えれば少しはこの問題が解…

きもいグループ

小学生当時、キモいと疎まれていた私でも、数人の友達がいた。友達と言うよりは、クラス内でできる複数の「何をするにも一緒」のグループから溢れた数人で集まった、周囲のグループから「キモいグループ」と言われるような、いわゆるイケていない、余り者グ…

余り者

いじめられっ子の運命として、余り者になることも常であると思う。クラスのグループワークやレクリエーション、体育の授業でのチーム決め。社会科見学やキャンプ、修学旅行の班分け。「好きな人と組んで」という言葉は地獄の合言葉みたいだった。余り者にな…

きもいのとバイ菌扱いはデフォルト

いじめにおいて「きもい」と言われたり、バイ菌扱いをされるのは定番の行為だと思う。私も、いじめにあっていた頃はそれが日常的だった。小学生の頃は、今ほど「きもい」という言葉が常套句としてなかったと思うので、小学生の頃はバイ菌扱いが主だった気が…

一番最初

一番最初に、いじめという行為の代表的な悪口だとか嫌がらせを受けた時は、私自身「自分がいじめられている」とは思っていなかったと思うただ、小学校の中学年の頃からだったか、座っている時の所作や、手が口に触れた時の仕草を笑われたり、なにか失敗をし…